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思い出すと泣けてくる思い出

1 :ななしのいるせいかつ :2006/07/18(火) 21:25:49
ありますか?
自分の大親友が中学受験で離れ離れになっちゃったとき

3 :ななしのいるせいかつ :2006/07/18(火) 22:20:07
ガキの頃、兄弟四人で一年位生活してた事
電気止められて、ろうそく使ってた
みかねた電気会社の人が「三つまでなら電気使っていいですよ」
と言ってくれた時は嬉しかった

4 :ななしのいるせいかつ :2006/07/18(火) 23:15:14
思い出といえる思い出がないことを思い出したとき…

7 :ななしのいるせいかつ :2006/07/19(水) 16:28:22
泣けるなーーーーーーーー
ほんまに泣ける
最近の妹の汚い顔には 

9 :ななしのいるせいかつ :2006/07/19(水) 18:35:15
ついこの前の話です。
某万博に行って来ました。母と二人で。自分はリア工。
母は娘と久しぶりにでかけられる事にとても喜んでいました。(高校になってからは忙しいので
そして、万博には人がたくさんいるだろうということになって
母が手作りのお弁当を作っていました。
まぁ、この後は予想がつくでしょう。
そう。万博はお弁当の持込は禁止されています。
母はとても悲しそうでした。ありがちな話ですが、あの時の母の顔を思い出すと泣けてきます。

10 :ななしのいるせいかつ :2006/07/19(水) 18:45:26
母親が飲酒運転のトラックにひかれて死んでしまった事
3年経ったが今でもふとした瞬間大泣きする。特に母との思い出の品や場所を見ると。
最後の言葉は「今日は雨降ってるんだから気を付けて行きなね」だった

12 :ななしのいるせいかつ :2006/07/19(水) 21:45:14
ベタだけど愛ハムが死んじゃったときのことは
今でも思い出すとボロボロ泣けてくる。
初めて手に乗ったときのこと・・・
初めて手の中で寝てくれたこと・・
撫でたらすごく幸せそうな顔をしてくれたこと・・

今では全部が思い出です。

15 :ななしのいるせいかつ :2006/07/20(木) 12:18:44
父が半ケツ状態で母に怒られてた 

16 :ななしのいるせいかつ :2006/07/20(木) 19:41:19
>>15
何故?

17 :ななしのいるせいかつ :2006/07/20(木) 22:04:13
一年前の騒動の最中、2chにあった体験カキコを動画にしたもので、これ見ると泣けてしまう
http://www.geocities.jp/team_sekisei/one_year.html

22 :ななしのいるせいかつ :2006/07/22(土) 19:12:44
小学校の卒業式の前日「もうランドセル姿を見れるのは最後か」と
親がつぶやいて写真をとってくれた。泣きそうになりながら作り笑顔で
写真をとったのを覚えている。

23 :ななしのいるせいかつ :2006/07/22(土) 19:26:34
家から一歩も出たことがなかったうちの猫(当時一才)が
俺がうっかり窓を開けっ放しにしてたために外に出て、
数日後近所の農家の納屋の藁の上で丸まって死んでるのが見つかった。
1月の寒い朝だった。
帰り道もわからず寒かったんだね…
ごめんな…

24 :ななしのいるせいかつ :2006/07/22(土) 19:34:32
私は循環器科の医者になり父の自慢の娘でした。父が心筋梗塞で倒れ入院、担当にはなれなかったが悪化した夜はたまたま私が宿直してた。緊急処置を施し…最後に心臓マッサージを行い臨終を迎えた。医者になって1番辛かった…

26 :ななしのいるせいかつ :2006/07/23(日) 01:10:15
俺がこの世にやってきた夜
お袋はめちゃくちゃに嬉しがり
親父はうろたえて外へ走り
それから酒屋をたたき起こした
その酒を呑み終わるやいなや
親父は一生懸命ねじりはちまき
死ぬほど働いて
その通りくたばった
くたばってからというもの
今度はお袋が一生懸命に俺を育ててくれた
頑張って大学に入れさせ見事卒業させてくれた
お袋は今年60歳
親父をまいらせた昔の美少女は
すごく太って元気がいい

実は俺にも去年娘ができた
女房はめちゃくちゃに嬉しがり
俺はうろたえて外へ走り
それから酒屋をたたき起こした

28 :ななしのいるせいかつ :2006/07/23(日) 02:10:31
その日の朝 彼氏とバイバイしてお互い仕事に行った
遠距離恋愛の私は彼氏に貰ったシルバーのブレスレットをいつも大事につけてたけど 夜 突然壊れて凹んでた そっから一週間ほど忙しくて 彼氏に連絡してみたら携帯が解約やれてた さらに一ヶ月後,彼氏の友達になんとか連絡がついて知った事実は
シルバーのブレスレットが壊れた頃に彼氏はバイク事故で亡くなってた。あれから半年 今でも待ってる 愛してる
早く会いたいよ それまでヒタスラ仕事でもしとくよダーリン

36 :ななしのいるせいかつ :2006/07/25(火) 03:05:07
真面目で清楚だった妹が、東京の大学に進学し、ギャル系になって帰省した時は泣いた。

37 :ななしのいるせいかつ :2006/07/25(火) 14:24:17
小4から受験を始めて2年…ついに俺は受験に受かりとある私立に行く事になった。
そして終業式の朝、枕元にあるケータイに一通のメールが。
『いままでご苦労様、叱ったり色々したのもこの日のためだったけど……』みたいな事がしばらく書いてあったのを読んだ時は20分ぐらいベッドで泣いてた

44 :ななしのいるせいかつ :2006/07/26(水) 04:57:57
小中どっちだったか忘れたが2泊3日林間学校の2日目、寝る前に担任教師が親からの手紙を全員に渡した
周りにいた奴は笑ったり黙ってたりで俺も大したことは書いてないだろうと思ってた
だが内容は俺が生まれたことがとても嬉しかったとか体は一生ものだから気をつけるんだよ、とかそういうものだった
本当に心配して貰ってるんだなとわかってボロボロ泣いた、心からありがとうと思った
青臭い思い出だがあの時のことを思い出すと今でも泣ける

45 :ななしのいるせいかつ :2006/07/26(水) 14:18:20

10才そこらで親への感謝で泣ける感情を持ってたってすごいね
オレは23才の時に初めて泣ける程の感情持てたから。

46 :ななしのいるせいかつ :2006/07/26(水) 14:27:54
確かにすごいですね。私は今まで16年間生きてきて親への感謝で泣いた
ことは一度もないです。親にあんまり心配かけちゃって泣いたことはあ
ありますが。

47 :ななしのいるせいかつ :2006/07/26(水) 14:53:14
俺は29年間生きてきて親が俺のチョコボール
黙って食ったことに昨夜泣いたわ 

49 :ななしのいるせいかつ :2006/07/26(水) 16:56:27
隣のお兄さんが俺にエロ本くれたのに拒否した俺
4時間後 お兄さんが焼身自殺した

50 :ななしのいるせいかつ :2006/07/26(水) 16:58:08
>>49
断られたお兄さんの気持ちを考えてみるんだ

52 :ななしのいるせいかつ :2006/07/27(木) 00:26:26
先程まで、断られたお兄さんの気持ちを考えてました
涙が止まらず、自分の愚かさに腹が立ち
今は、猫の肛門を借りて突いて突いて突きまくる
それでも日本を愛してるんじゃ 

53 :ななしのいるせいかつ :2006/07/27(木) 01:02:19
中三の時
同じクラスに初恋の人ができた
ほとんどしゃべることもなかったけど
いつも見てるだけだったけど
そしてもう会えないけど
楽しかったあの日々を思い出すたび泣けてくる

58 :ななしのいるせいかつ :2006/07/28(金) 12:19:51
妻と別れてからも 月に一度だけ子供達に逢わせてもらってました。
毎月その日が待ちどうしくて、今度はドコに連れていってあげようかなぁ?何を食べたいかなぁ?など思い考えながら逢える日を心待ちにしていました。
けれども 逢えた日には必ず別れなければならない時間がやってきます。
迎えにきた元嫁の車に乗せ「また遊ぼうねぇ」と 声をかける度に 娘は幼いながらに泣いてはいけないと思ってたのでしょう…
目にいっぱいの涙をためながら、気丈に手を振ってくれました。
車が見えなくなるまで私も目一杯 涙が溢れてくるのを我慢し手を振り続けていました。
もう何年も前の話ですが、今でも すまない気持ちでいっぱいです。悲しい思い出ですが
今でも月に一度 逢わせてもらってるので 悲しい思いをさせた分 楽しい思い出を目一杯作れるように 子供孝行していきます。
つまらない長分すいません

61 :ななしのいるせいかつ :2006/07/28(金) 18:32:46
ついこの間、妹が星になりました。
原因は交通事故でした。
信じられませんでした。今でも立ち直れません・・。
>>58
本当に娘さんは優しい子ですね。
可愛い娘さんを幸せにしてあげてください。

63 :ななしのいるせいかつ :2006/07/29(土) 01:49:15
あと一年以内に母が亡くなること
覚悟なんかいつまでたってもできない
ごめんなさい。ここしか吐き出せるトコがなかったんだ

64 :ななしのいるせいかつ :2006/07/29(土) 02:19:39
下らない話だがついでに聞いてくれ。
一年半前の話だ。高校を出て連絡を取っていなかった友達とお互いの誕生日を祝うために(誕生日が同じ日)メシ食いに行った。
俺はそのコに惚れていた。高校時代に出逢ってから恋していたが、ずっと秘したままだった。
ただそれでもただの友達とは違う扱いで付き合わずに一線を越えることもあった。
仲は良かったが彼氏の絶えることのないコだったためなかなかこういう機会はなかった。
俺は徹底的にプランを練り上げた。
行き付けのイタメシ屋から最近連れてって貰ったバーに行って…と計画を建て分単位で時間を計測し挙げ句予行練習までしたww
当日計画は全て滞りなく進みバーに行った。彼女は初のバー体験で喜んでいた。なかでもオマカセで出して貰ったカクテル『スカイダイビング』がお気に入りだった。
二時間程楽しく飲んで店を後にし港沿いを歩いた。
ポツポツと街灯が立っているだけの静かな道を他愛も無い話をして歩いた。
不意にヘッドライトに照らされ飛び出して来た車を避けて彼女の肩を引き寄せた。
車が通り過ぎ彼女の方に振り向いた刹那、まるで吸い込まれるかのように唇を奪われた。
一瞬驚いたがその直後にはもう両手は彼女を抱き締めていた。

あの時二人は確に真っ白な空間にいて御互いの中に御互いを感じていた。
その後付き合うようになったが俺の未熟さ小ささが原因で半年で別れた。
今でも未練がましく思い出す。あの時確かに二人は愛し合ってた事を。
チラシの裏みたいな話を長々すまん。
久しぶりにスカイダイビングを飲んだら思いだしちまって……酔い過ぎかな?w

71 :ななしのいるせいかつ :2006/07/30(日) 18:23:49
元彼を忘れられない。
忘れたふりして「彼氏なんかいらない」なんて言ってるけど
大好きで大好きで生まれて初めて告白して
毎回(遠距離だったので)交通費に五千円かけて会いに行ってたのを思い出すと辛くて寂しい。
うざくてごめんなさい

74 :ななしのいるせいかつ :2006/07/30(日) 19:40:31
母が雨の朝、砂利道で転んだ。
顎を切り、血を流して、一階から寝ている私に向かって
声にならないうなり声の様な声で呼びかけた。
母は腎臓病だった。
その治療の副作用で血液が凝固しなかった。
そして人工透析をしており、腕には機械?が入っていて
体力も落ち、骨も弱っていた。
腕をぶつけたらオワリなので守ろうとしたら
二回も転んだのだと、痛い痛いと言ってた。
うちは母子二人暮らしで車が無いため、親類を呼び
病院に向かってもらった。
親類は私に、おまえも乗れ、ついててやれと言ったけど
私は風呂に入っていなくてぐちゃぐちゃでスッピンでもあったので(醜形恐怖症です)
行かなかった。
行けなかった。
母は もういい!と怒ってた。
きっと悲しかったのだと思う。
障害者手帳を持っているから私が恥ずかしい思いをするのでは、
などといつも母は考えていた。
母は、私が母を愛していないと思ってた。
幼い頃は母から虐待的なめにあっていたし
私はすれてひどい暴言ばかりはいていた。
数時間後、顎を縫ってもらった母は帰宅した。

75 :74 :2006/07/30(日) 19:48:59
ある日、母は倒れた。
二時間前まで私がまたつっかかっていた母は
奇妙な形で倒れたまま動けず、しきりに頭が痛いと言っていた。
動揺しながら私は病院に電話した。
その間も母の意識は薄らいでいき、次第に目を閉じていった。
おまえが病院に連絡したのか、えらいね。って
小さな子に言う様に私をほめた。
救急車の中、私は特に声をかけなかった。
病院につくまでのしんぼうだ、頑張れ そう思っていた。
病院につくと医者は、残念ですが と言った。
ドラマの撮影みたいだった。
病気のせいで体力がなく、手術に耐えられないとの事。
こいつは何をおかしな事を言ってるんだ?と思った。
死ぬのを待つしかない、と言う。
私は理解できなかった。
病院につけば助かると思っていた。
死ねと叫んだことはあった。いつか覚悟が必要だとも思ってた。
が、母はいつまでもそばにいるのだと思っていた。

76 :74 :2006/07/30(日) 19:55:36
脳で出血が起きていたのだった。
今までも頭痛などがあったはずだと医者は言った。
そういえば、日に日に元気はなくなっていたし
ろれつも回りにくくなっていた。
手がしびれると言った日もあった。
それは病気のせいだと思っていた。
医者と楽になる方法を話していると思っていた。
でも母は医者に話していなかった。
私のせいだ。毎日顔を合わせていたのに。
それから病室で、私は選択をしなければいけなかった。
人工透析は、一度でもやらないと死ぬのだと母は言っていた。
だから元日でも台風でも通院してた。
本当は入院レベルなのに、私がひとりきりになるから入院しなかった。
医者は、脳の出血で死なせるか透析をしない事で死なせるか
母の死に方を私に選べと言ってきた。
私が代わりに死にたい気持ちだった。

火曜日の朝、いつもなら透析の時間。
その日は管を通さなかった。
すると二時間後に、母の心臓は止まった。

77 :74 :2006/07/30(日) 20:02:59
どのタイミングかは忘れたが、私は一度家に戻った。
母の布団にはさっきまで人が寝ていた跡があり、
もう誰も使わないなどとは思えなかった。
私は枕をだきしめて大声で泣いた。
母のことを呼びながら何十分も泣いた。
私が小さい頃、水商売をしていた母は
私が夜中に目覚め、呼びながら泣き出すタイミングでよく帰宅していた。
だから私は自分が呼んだから帰ってきたのだと思ってた。
でも、呼んでも呼んでももう母は帰ってこなかった。

火葬場でボタンを押す役目は姉だった。
私は姉と暮らしたことがない。父親が違っている。

長々とすいません。
私は25になり、あれから3年か4年経った。
だけど過ぎた年月も、母の命日も、
何度覚えなおしてもどうしてか忘れてしまう。

私が思い出して泣くのは母の事だけです。
たくさん書いてすいませんでした。

78 :74 :2006/07/30(日) 20:06:30
>>74に書き忘れました
私は 母が血まみれになってる姿を こわい と思ったんです。
ついていってあげなかった事、こわいと思った事、
後悔がとれません。
また、私が気付いてやってたらまだ死ななかったのにと。
私たちには大きな溝があり
私はそれを埋めようと数日前に決意して
暮らしの事を二人で話していたところでした。

すいませんm(_ _)m

89 :ななしのいるせいかつ :2006/08/02(水) 17:25:28
体育の時間に着替える時に
オネーチャンのピンクのブラを付けてる事が分かり
友達に急かされて上着を脱ぐ瞬間の俺   

90 :ななしのいるせいかつ :2006/08/02(水) 18:37:50
>>89

92 :ななしのいるせいかつ :2006/08/02(水) 23:09:24
他界した旦那の位牌前で営みしてる自分
性欲に負けてゴメンょ旦那

102 :ななしのいるせいかつ :2006/08/03(木) 12:29:07
小学生の時、ポチが目の前で、車にひき逃げされた…
ぐったりしたポチを、泣きながら家までだっこして帰った
今だにトラウマ

105 :ななしのいるせいかつ :2006/08/04(金) 00:57:55
嫁が寝る前に入れ歯を外した新婚初夜

109 :ななしのいるせいかつ :2006/08/04(金) 03:05:45
昔先生が猫の話をした時
「猫は死ぬ前飼い主の前では絶対死なないんだって、だから人がいない所で死ぬらしい」っと感動して涙かでた

111 :ななしのいるせいかつ :2006/08/05(土) 01:51:21
>>109
飼い主の前で死なない話本当です。自宅から3件はなれた家の人が飼ってる猫がうちの庭で死んでました。うんこ、しっこ、交尾を我が家の敷地でやりまくった挙げ句、死に場所も我が家の敷地をチョイス。泣きました、「俺んちかよ…」

112 :ななしのいるせいかつ :2006/08/05(土) 02:47:42
転校すること知らなくて最後の日に貰ったラブレター
俺も君が好きでした

122 :ななしのいるせいかつ :2006/08/07(月) 16:45:54
大雨の中、迎えに来てくれてたじいちゃん
去年の台風時に、増水した川に流されて行方不明中
遺骨なき葬式は泣くに泣けず   

123 :ななしのいるせいかつ :2006/08/07(月) 16:51:44
>>122
爺さんの分までイキロ

125 :ななしのいるせいかつ :2006/08/08(火) 00:18:59
前に母親が一年以内に亡くなると書いた者です
あれから容体は急変し、医者の話だと治療はやめて緩和に向かうとのこと
今月が覚悟の月になるかも

産んでくれてありがとう
育ててくれてありがとう
一緒に笑ってくれてありがとう
心配してくれてありがとう
信じてくれてありがとう
お腹痛かった時さすってくれてありがとう
ご飯作ってくれてありがとう
毎朝起こしてくれてありがとう
応援してくれてありがとう
ありがとう。もっとありがとうって言いたいよ

134 :ななしのいるせいかつ :2006/08/08(火) 19:08:57
>>125
それをあなたのお母さんに直接言ってあげて欲しい。
冗談っぽくでもいいから。

私の母親が亡くなったのは本当にある日突然で
何も伝える事が出来なかった。
倒れてそのまま。。
弔問客に出したキュウリの漬け物は前日母が漬けた物だったよ。。

138 :ななしのいるせいかつ :2006/08/09(水) 17:14:28
自宅に吊るしてあるハエ取り紙に
何故か祖父のズラが取られてた

140 :ななしのいるせいかつ :2006/08/10(木) 00:07:30
堤防で釣りをしてた時に
父が大物を釣り引き揚げようと竿を持ち上げたら
途中で折れてしまい逃げられた
諦めきれない父が、飛び込んで竿ごと捕まえようとしたが
考えてるより浅瀬だった為に、父は東部を打ち気絶
10歳だった俺は、飛び込めずに泣いてオロオロ
下では、半尻状態の父がうつぶせで浮かんでる
その周りでは、先ほどの逃げられた魚が、ついてるであろう竿の先のウキが
父の周りを、ゆっくり迂回してた房総の夏 

150 :ななしのいるせいかつ :2006/08/12(土) 22:24:09
目も開いていない猫が4匹捨てられいた
一度家に帰ってお母さんにせめて目が開いて飼い主が見つかるまで飼わせて!と頼んだが案の定ダメで、せめてミルクをあげようと思って猫のもとに走った
その時には、もう野犬に遊ばれて血まみれでぐったりしてる猫達の姿があった
3匹はもう動かなくて1匹だけ苦しそうにモゾモゾしていた
泣きながらその猫の首を絞めた
涙が止まらなかった
猫は最後に手がピーンとのびた後、ぐったりした
未だに忘れられないあの感触
楽にさせてあげたかったけど、やっぱりそれは人間のエゴだよって思い出しては後悔する

153 :ななしのいるせいかつ :2006/08/14(月) 01:07:41
6歳の時、両親が離婚
父親が出てく形になったんだけど、小さかったから離婚とかわからなくて「パパどこ行くの?」って聞いたら「遠い所だよ」って言った。
しばらく経ってから幼心にも離婚したんだと気付いた。
小2のとき一回だけ会った以来かれこれ8年も会っていない。

母親に会えないのか聞いたら「もう会わないほうがいい」と言われたからこの先一生会う事は無いだろうな。

お酒入ると暴力的だったけど、普段は優しくて大好きだった。もう二度と会えないパパ。

159 :ななしのいるせいかつ :2006/08/16(水) 23:36:30
母子家庭なのに、大学院まで出してくれた母。

社会人になって「恩返しするぞ」と思っていたら、鬱病で入院することになってしまった。

ある日曜、母が見舞いに来てくれた。2時間もバスに乗って…。
その日は母の日だった。
心底親不孝者だと自分を責めて泣いた。
母は微笑んで、肩を叩いてくれた。

その後社会復帰して、初任給で、母が好きなバーバリーのバッグを買った。

母が泣いた。

163 :ななしのいるせいかつ :2006/08/17(木) 23:07:01
私は継母なんですが、、、
娘がまだ小学1年生の時、怪我して泥まみれで帰ってきたことがありました。
何でも同級生に、「お前の母ちゃんままははなんだろ?本当の母ちゃんじゃないんだろ?」等と4人組にいじめられて来たとのこと。
それで、娘が泣きながら私に、「お母さんは私のお母さんなんだぞ、世界一のお母さんなんだぞ!」と取っ組み合いの喧嘩をしてきたんだと。
娘が私に
「お母さんは私のお母さんだもんね。私お母さん大好きだもん」と泣きながらも笑顔で抱きついてきたのが、すごく嬉しかったし、泣けた。
立派に二十歳になって、今じゃくだらないことで喧嘩もしますが、この子の母になれて本当に幸せです。

167 :ななしのいるせいかつ :2006/08/19(土) 18:00:49
7歳の時離婚して出て行った母親が、最後に一度だけ誰にも内緒で小学校に私に会いに来てくれた。お母さんは泣いてたけど、その頃の自分は何も知らなかったから喜んでた。
今思うと、何も知らないがゆえに笑顔で見送れて良かった。
もう十年以上前の事で、今はもう生きてるか死んでるかも分からないけど思い出しただけで涙が止まらない。

170 :ななしのいるせいかつ :2006/08/22(火) 13:32:23
13年間、一緒に育った愛犬。
乳癌を患い最期は餌も食べず歩く事も出来ない状態でした。
横たわっていた愛犬が急にスッと立ち上がりタタタと水を飲みに行き、シートの上でオシッコをして「キャンキャンキャン!」と鳴いて倒れてました。
名前を呼んでも意識は無く胸だけ上下して呼吸だけしてる状態になってました。
「もう いいよ…楽になっていいよ…シートにオシッコしに行かなくても怒らないのに…最期までいい子だったね…」と言って小さい体をさすってやってると胸が上下する動きが止まりました。

171 :ななしのいるせいかつ :2006/08/24(木) 22:35:03
父親が末期がんで、一時帰宅してた
家にいたら、突然「背中マッサージしてくれ」と言われた
ほんとは嫌だったけど母は出かけていたので、仕方なく押してあげた。
久しぶりにさわった父の体は骸骨みたいにやせていて怖かった
だからすぐ「もういいでしょ?」と言ってしまった

父は「ありがとう」といった

あれから一週間もたたないうちに死んでしまった
今思えば、一番苦しかった時期だっただろうに


帰ってきた母とのやり取りが聞こえた。
「マッサージしなくて大丈夫?」
「今日は○ちゃん(私の名前)がやってくれた。きもちよかった」

その父の言葉が忘れられない

175 :ななしのいるせいかつ :2006/08/26(土) 03:55:45
17の時、親父が会社の健康診断みたいなものでひっかかった
今度きちんと検査しに行くけど、まあたいしたことないだろと親父は言ってた
しかし病院での診断結果は癌だった、でも最初は手術で治るって聞いて少し安心していた
なのに術後に聞いた言葉は、転移により余命9ヶ月という結果だった
おかんは病院にいたし学校から帰宅後に祖父母からこのセリフを聞いた

正直「は?」意外頭に浮かばなかった

けど時間が経つにつれどんどん痩せていく親父見てどんどん実感していく自分がいた
そんな状態なのに、親父仕事辞めねえでやんの、動けなくなるぎりぎりまで働いてやんの
もういよいよ動けないって状況になってようやく辞めて、それからずっと入院生活
たくましかった親父の見る影ゼロ、もうガッリガリ、骨浮きすぎ、親父見る度にそんな事思ってた
なのに「見てみろ、こんなにヒゲ生やしてやったよ、仕事ん時はできんかったからな」とか楽しそうに言うの
それ見て兄弟で「チンピラやんw」とか言って顔では笑ってた

176 :ななしのいるせいかつ :2006/08/26(土) 03:56:38
けどやっぱ少しずつ元気なくなってきてるのがわかった、最後は自宅でって話になって家に帰ってきた
家にいる時、やめていたタバコをたまに俺に要求してきた、あと普段全く呑まない炭酸飲料なんかも
死期が近づいているのを察していたんだと思う、ダメだと思いながらもその要求に答えてた
最後はなるべく好きにしてほしかった、けどその時はもちろん今もあれが少しは死期近めたのかなとか思う
抗がん剤とかの影響で、辛そうな顔する事が多くなってきた、最後とか呼吸もままならん感じ
おかんに「三日間くらい眠る薬打つ事になったよ、起きたら少し楽になる薬」って言われて、是非打ってって思った
薬投与の前に兄弟が一人ずつ親父の部屋に呼ばれた、兄俺弟の順で、俺は

「音楽でもスポーツでも勉強でも何でもいい好きな事やれ、後悔は絶対すんな
友達裏切るな、人に慕われる人間を目指せ、おまえは一番俺に似ている」

だって、ほっそーい腕で力なく俺の手握って、喋るのもきつそうなのに何か迫る感じが伝わったの覚えてる
三日後起きるなんて嘘だった、何かどっかで解ってたけどやっぱ耐えられなかった
細い呼吸がゆっくり消えていった、息引き取り確認してくれた医者看護婦に今までのお礼言って
部屋に入ってこれでもかって程泣いた、もう会えない、話せない、どうしようってもうどうにもならん、って

やっぱいつ思い出しても辛い、時が経って大分傷は癒えたけどね
俺は今親父に見られて恥ずかしくない人間になろうと頑張ってる、みなさん人を大切にね長文スマソ

179 :ななしのいるせいかつ :2006/09/02(土) 14:26:24
精神的にカツカツになってしまった夏休み。
他人に甘えるな自分ばかりが不幸だと思うな、とひたすら言い聞かせた。

厄介な病気になってしまい通院する事になった。
でも誰にも相談せず。
言ってもどうにもならないから、て思って終わった。
その日に久々にコンビニに入ってライターを買った。
久々に煙草吸いたいなぁと思って、買い置きの煙草も出してきた。
でも吸う気になれない。
医者に止められたわけでも何でもないのに。

「あーなんでだろう」て独り言言って煙草しまって、夜の道路に立ってみた。
月がキレイだった。

自分はどんな大人になりたかったんだっけ。
昔見た月と、今見てる月は明らかに違う。
今見てる月と"今見たい月"も違う。

たった数分間だったけど泣いた思い出。
今でも思い出すと涙が出てくる。

生きたい。

183 :ななしのいるせいかつ :2006/09/03(日) 01:22:33
大学受験で予備校からイライラしながら帰ってきたときに、俺の顔を舐めてくれるのが嬉しかった。
親と喧嘩した後、俺が煙草すってる横で、ずっと側に尻尾振りながら居てくれたのが和ませてくれた。
兄貴が大学辞めて、ニートになって家の雰囲気が悪く居づらいときも、コイツが居ると落ち着いた。
大学受かって、俺が嬉しくて、ついイタズラしても飛びついてくるのが楽しかった。
急なバイトから俺が帰ってくるまで、まるで待ってたみたいに生きててくれて、その後すぐに行っちまった。
笑って見届けてやろうって思ってたのに、声を上げてガキみたいに泣いちまった。

きっと、毎年の9月2日は泣きたくなる。うるさいと思ってた、あの鳴き声はもう聞けない。

ごめんな、ありがとな、元気でな。
いつか俺も行くから、そん時はまた散歩行こうな。
長文すまんした。

188 :ななしのいるせいかつ :2006/09/10(日) 04:02:55
うちは貧乏家族でお年玉を毎年もらえなかった(´・ω・)小6の元旦の朝初めて父親からお年玉を貰った。
中身は500円玉1枚と手紙。手紙には「今までやれなくてごめんな。これでビックリマンチョコでも買いなさい。」と
書いてあった。俺は嬉しくて布団の中で泣いた。23歳になった今でもその500円玉を持ってる。

191 :ななしのいるせいかつ :2006/09/15(金) 04:06:32
正月に祖父が作成した絵画を凧にして飛ばした
途中で糸が切れて凧が遠くに飛ばされる
追いかけてた祖父の後ろ姿を見て 弟が突然にタックル
埃まみれの二人 消えていく凧 遠くで眺めてる祖母
泣けた

211 :ななしのいるせいかつ :2006/10/02(月) 20:06:43
小学生の頃、夏休みに毎年田舎のばぁちゃんの家に帰ってた。「来年は会われへんかもしれんし貰っといてや」遠慮をするとこう言って必ずおこずかいをくれてた。

亡くなる年の夏休み最後の日には、珍しく写真を撮ろうとばぁちゃんが言って孫ばっかりとばぁちゃんで集合写真を撮った。
それから秋にばぁちゃんが死んだ。棺の中のばぁちゃんの手にはその時の写真が握ってあった。もう15年ほど昔の事だが今でも鮮明に蘇る。

213 :ななしのいるせいかつ :2006/10/07(土) 17:10:02
天国の大好きなお祖母ちゃんへ

こんなに澄んだ青空の日は、とても心地よくて、お祖母ちゃんの優しい笑顔を
思い出します。

入退院を繰り返しても、一生懸命に病気を治そうと頑張ってたお祖母ちゃん。
力になりたくて、でも何をしたらよいか解らなくて、何もできない自分にイラ
イラして・・・。
お祖母ちゃんとお別れの日がきても、結局何もできなかった・・・。

お祖母ちゃん。最後の退院許可がでた日、一緒に一つのラーメンを半分ずつ食
べたこと覚えてる?
あの日、いつもより口数の少ない私を心配してくれた時、本当は、どうしても
伝えたいことがあったけど、もう会えなくなるような気がして、涙を堪えるの
に必死だったの。だから今ここで・・・


おばあちゃん、素直じゃない私を、いつも優しい笑顔で見守ってくれて、信じて
くれて、ありがとう。優しいお父さんを生んでくれてありがとう。
遠くにいても、おばあちゃんのこと、ずっと、ずっと、大好きだからね。
今までも、これからも本当にありがとう。

214 :ななしのいるせいかつ :2006/10/08(日) 17:17:03
今から十数年前。当時小6だった俺は小学校の合唱クラブに参加していた。
合唱コンクールに出場するために、希望する有志を集めたクラブで、
不定期に放課後の音楽室で練習をしていた。

ある、給食が無い午前授業の日のこと。
合唱クラブのメンバーは弁当を持参して、昼食後に練習する事になっていたが、
俺は当日のお昼に音楽室へ行ってから弁当を忘れた事に気がついた。
お金も無く、家は遠いので戻る事も難しかったし
合唱を担当する先生は昼食後にやってくるのでその場にはおらず、
いまから思えば職員室に行って事情を話せばなんとかなったのだろうが、
当時はそんなこと考えつかなかったので、
俺はすっかり食事を諦めて、弁当を広げるみんなを見ながらボーっとしていた。

一人食事をしない俺を見て、同じクラスのK君がやって来た。
K君は冬でもランニングに短パンで、いつも真っ黒に焼けた元気な男の子。
俺は友達が多い方じゃなかったし、K君とも特別仲が良かった訳では無い。
K君「お弁当食べないの?」
俺「忘れちゃった。お金も無いし我慢するよ」
K君「そっか。わかった」
というと、K君はやおら立ち上がり
K君「みんな聞いてー!○○君が弁当忘れたんだって。おかずちょっとわけてー!」
と大声で宣言すると彼自身の弁当の蓋をひっくり返して皿がわりにして
その場の皆からご飯やおかずを集めだした。
一人一品位なんだけど30人近いから
あっと言う間に一人分には十分な食料が蓋に盛られた。

突然の出来事で碌にお礼も言えずにポカーンとしてる俺に
蓋弁当を渡してK君はにっこり笑った。
直前まで「今日はお昼抜きだな」と諦めていた事のギャップと
K君の機転と発想と優しさに、涙がこぼれてしまった。

K君は礼を言いながら少し涙を流す俺に慌てながら
「なっ泣かないでよ。対した事してないし。分けてくれた皆のおかげだよ!」
なんて言ってた。

あの時は本当に嬉しかったんだ。ありがとうK君。

216 :ななしのいるせいかつ :2006/10/15(日) 17:38:19
一緒に暮らしていた病気だった祖父は私の反抗期死んだ
羽みたいに優しい祖父だった
私が幼い頃、祖父が元気な時は遠い海に車で連れていってくれた
お小遣いやお菓子もくれた

私が中3のとき進路と両親のことで荒れたとき祖父は容体が悪くなり死んだ
半分自分のせいだった

高校は海の近くの学校に入った
なんだか見たことのある白いレストランと崖と水平線
祖父が幼い頃に連れていってくれた海沿いだった
その景色を見て泣いた

217 :ななしのいるせいかつ :2006/10/15(日) 17:48:49
さっき祖父の夢を見た

元気で笑顔だった

私の作ったカップラーメンを受け取ってありがとうって
そこで目が覚めた

起きてしばらく、祖父に会ってないな、うちに帰らなきゃ…と思うくらい生々しい祖父だった

涙がいま止まらない

もしももう一度会えたら
なんて謝ればいいだろう
祖父はなんて言うだろう

あの海はいまどんな景色になっているだろう

218 :ななしのいるせいかつ :2006/10/24(火) 21:39:12
ずっと前に母が入院していると書き込んだ者です
ずっと苦しそうだったのですが先月に天国に旅立ちました
親孝行はどれだけしても悔いが残ると思います
日常の会話を大切に。おはようただいま行ってきます
今でも楽しかった日々を思い出すと泣けてきます。
でも、これはまだまだ母への愛情が薄れていないということなので嬉しくも思います
みなさまも家族への健康診断を積極的に促しましょう

227 :ななしのいるせいかつ :2006/10/25(水) 08:55:45
わたしの父はいわゆる生活破綻者でたくさんの借金を作り、
母を夜中から晩まで働かせて、雀荘とパチ屋に入り浸る生活。
そのせいで母もおかしくなり、弟たちにはヒスを起こして
虐待まがいのハードな躾を繰り返し、わたしには泣きながら
毎日父への恨み言を聞かせてきた。

「あの人はあんたら(子供)に興味がない」
「あんたらを可愛と思ってない。自分のことしか考えてない」

幼かったわたしはそれを聞き、ショックで愕然としたものだ。
父は確かにいい加減だったが、わたしにとっては優しくて大好きなお父さんだったから。裏切られた。
それからわたしは、反動のように父を恨むようになった。

今、両親は離婚して6年になる。父にも何年も会っていない。
もう父を恨まない。そう思えるようになったのはごく最近だ。
父はわたしたちを養う力がなかったし、家族を持つ資格もなかった。
だが子供に母の悪口を言ったことは決してなかった。
ヒスを起こして泣くまでわたしを殴る母から守ってくれたのも父だった。
バカと思われるかもしれないが、わたしは救われていたと思う。

いまだにぼーっと思い起こすことがある。
2歳か3歳の頃。
両親の間にわたしが入って、手をつないでもらって、どこかへ
出かけるために、駐車場への階段を下りている。
わたしはまだ軽くて、両親の手にぶらさがったまま足を浮かせてる。
両親の顔を見上げたら、右も左も笑顔で、わたしも嬉しくて笑顔・・・
きらきらと陽光が眩しくてすぐに顔を戻す。

あの頃は幸せだった。幸せだった。
幸せな思い出なのに、今でも涙が止まらない。


長文すいません。

235 :ななしのいるせいかつ :2006/10/29(日) 13:12:33
弟がまだ母のお腹にいた時。
父親が短気で暴力暴言がひどくて、その日も飯がまずいなど難癖つけて怒りだした。
確かちょうど雪の寒い日で、父親は母のお腹を蹴って外に追い出した。
うちは田舎の農家、屋敷森に囲まれて周りも川とか林しかなくて、私は妹と毛布を担いで外に飛びだして母を探しに行った。
泣きながらお母さんを連呼して探したら、林の小屋の蔭に母がうずくまっていて、
私達は泣きながら母に毛布をかけて(幸い母もお腹の弟も何もなく)家に連れて帰ったが鍵を全部かけられていて
土蔵(分かるかな?)の中で3人で暖めあいながら眠った。
弟は元気に生まれて、今はプロレスラーになる夢に向かって頑張ってるけど、あの時ほど切なく悲しいことはなかった

236 :ななしのいるせいかつ :2006/10/29(日) 23:43:05
>>235
お母さんもお腹の中の弟さんも無事でほんとに良かった。

お父さん酷すぎる。
妊婦のお腹蹴るなんて最悪だよ。有り得ない。

240 :ななしのいるせいかつ :2006/10/31(火) 23:08:59
高校時代の話・・・

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。

244 :ななしのいるせいかつ :2006/11/03(金) 21:01:06
高校生の頃、バイトしてたコンビニに冬だというのに寒そうな服装の小学3年くらいの男の子と、小学4年ほどの小さな女の子が手を繋いで夜に来店した。姉弟だっただろうと思う。

夜の帰宅時間とあり、レジが忙しく最初は気にしなかったが、レジ近くの弁当コーナーに迷いもなく来た事を覚えている。
列のお客を捌ききった時にもまだ弁当コーナーにいたが迷ってるのだろうと見過ごした。
また店内が賑わってきて、忙しくなりお客を捌いていたら姉弟がいつしか列んでたようでカウンターに小さな弁当1コとおにぎり1コを置いた。会計は470円程だった。
金額を伝えると姉が巾着から、もそもそと袋を取出した。
瞬間的に何?と思ったがすぐに1円や5円玉ばかり入った袋だと分かった。
姉は袋から小さな手でお金を取り出していたが列のお客が気になるのか、かなり慌ていた。
暫くオレはどうしていいか分からず待っていたが、弁当とおにぎりをレンジに入れて温めている間に、隣のレジが空いたので後のお客を誘導した。
前ではまだ小さな手がお金を取り出していた。横にはカウンターに首を置くようにお金を覗く顔があった。
ずっと何も言わず待っているとオレは泣きたい気持ちになった。決して姉弟が疎ましいんじゃなくて、この弁当をこうやって買う姿の背景に泣きたくなっていた。
小さな手から5円玉がこぼれ落ちた時に代わってあげた。会計なんてどうでもよかった。レジに置かれたお金だけ貰って弁当とおにぎりをレンジから取り出して、ささやかながら隣にあったおでんを数種類、パックに入れ弟に持たせた。
「ありがとう。」そんな言葉が2つ、小さくだが聞こえた時には堪らなくなって何も声を掛けられなかった。
その日以来、オレが辞めるまでの間に姉弟は現れなかった。元気にしているんだろかと今でも鮮明にあの時を思い出す。

265 :ななしのいるせいかつ :2006/11/17(金) 01:20:21
中学の卒業式の答辞
「二度と会えないわけでもないのに卒業する事がこんなにも悲しい理由は、
毎朝交していた何気無い“おはよう”が言えなくなるからです」


これ聞いた瞬間、今まで泣いてなかったのに一気に涙が溢れてきた

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コメント

7年間、片思いしていた人の結婚式でウェディングケーキを作ったこと。
肉体的にも精神的にも辛かった

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